出典

地域産業集積の変容~燕産地を事例として~

中小企業金融公庫(いまの日本政策金融公庫)の研究所が、新潟県燕市の金属加工の産地の移り変わりを調べたレポートです。角ハンガーの記事の、燕の産地の歴史は、ここから。

出した所
中小企業金融公庫 総合研究所(いまの日本政策金融公庫 総合研究所)
出た時期
2007年9月(中小公庫レポート No.2007-5。聞き取りは2006年)
元のページ
開く(別のタブ)中身を2026年10月7日に確かめました

どんな資料か

中小企業金融公庫の総合研究所が、新潟県燕市を例に、地元の産業の集まり(産地)がどう変わってきたかをまとめたレポートです。2007年9月に出ました。歴史、統計、燕の会社への聞き取り(2006年の7〜10月、11社と1団体)、これからの方向、の4章です。

このレポートは、いまは日本政策金融公庫のサイトの「2008年以前の中小公庫レポート」の一覧に載っていて、読めます(2026年10月7日に確かめました)。古いレポートなので、統計の数字や会社の様子は、そのころの物です。記事が使ったのは、昔からの歩みをまとめた第1章です。

記事に関わる所で、言っていること

  • 燕の始まり:江戸時代の、和釘づくりから始まったと言われる。そのあと、やすり・銅器・きせるなどへ広がった
  • 洋食器へ:明治のあと、それらが衰えるなか、第一次世界大戦のさなかに、外国からスプーンとフォークの見本が持ち込まれ、試作に成功した。そこから金属の洋食器を作るようになり、ステンレス鋼などを取り入れて、量も質も上がった
  • 戦後:第二次世界大戦のあとは、ステンレスを加工する技術を生かした「金属ハウスウエア製品」の生産も盛んになった(燕市産業史料館の『燕市産業の軌跡』を、レポートが引いた所)。記事の「家の金物」は、この「金属ハウスウェア」のこと
  • 世界への産地:1950年代には、洋食器と金属ハウスウェアの、世界的な供給地になった(記事の「洋食器と家の金物を世界へ送り出す産地になった」は、ここから)
  • 分業:その間に、細かく分かれた工程の分業が、産地の中で完結する、燕ならではの形ができた
  • そのあと:円高や、中国の台頭などで、事業所の数や出荷額は大きく減った。2007年の時点で、燕は、さまざまな分野の金属製品を作る産地に変わってきている

えらびのたねでの使い方

記事では、燕が、ステンレスの家の金物の産地になった歩みの拠り所に使っています。このレポートは、記事の作り手の会社や、角ハンガーのことは書いていません。記事の「いまも、工程ごとに専門の工場が分かれて」は、燕市の資料からで、このレポートからではありません。数字や会社の様子は2006〜2007年のもので、いまの燕の数字ではありません。レポートは、特定の商品をすすめてはいません。